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    イエス・キリストとの出会い

    • 2011.12.03 Saturday
    • 10:52

    クリスチャンと称している人達の中には、下記のブログ記事の様な公式をしている者もいると思われる。


    以前にも書いたと思うが、よく教会で、「出会う」という言葉を云われた。でも正直その当時は、「出会う」という事自体、意味がよく分からなかった。

    人と出会うのであれば理解も納得もしたのだが、こと「神と出会う」というのに、どう出会っているのか、どうすれば「出会える」のかが納得出来なかった。今もこの部分は納得のいく説明が無い。

    ただ、過去に犯したあらゆる罪々、咎(とが)を告白した時に、不思議と心の重荷=それは今迄に背負った、法律や道義的精神的罪が、軽くなったという体験はしている。これを果たして「神と出会った」と言えるのかどうか、疑問に思うのである。

    「神である主との出会い」とは、一体何を言うのであろうか。

    「出会い」が無ければ主を信じる事は出来ないと教えられたが、果たしてそうだったのだろうか。


    そこでもう何年も前に、近所の教会で『神を体験する(原題:神を味わう)』を学んだのであった。神である主と出会いたい、出会っていないと思う者は、是非この本を購入し愛読された方が良いと申し上げよう。先ずはこれを学び、これを土台にして、本当に主と出会っていただければと考える。但し、本来は礼拝で主と出会っていなければならないのではないかと思うので、礼拝を見直してみるのも一考だと思います。

    礼拝は神である主への最高の奉仕であり、出会いの場でもある。



    「信仰」を持つことと「信仰の公式」を持つこととは違う
    http://8125150.seesaa.net/article/238295237.html

    現代の預言者

    • 2011.04.06 Wednesday
    • 12:54

    旧約聖書の様な預言者は、新約時代にはもう居ない。
    しかし、万民祭司となった我らは万民預言者でもある事を認識する者は殆ど居ない。何故ならば、新約聖書が出来たからとして、預言者を否定するからである。どこかで癒しも終わったなんて事も聞いた様な気もする。

    さて今回の東北関東大地震について、何故起こったのかは勿論正確には分からないが、考えられるのはチョーヨンギが言ったとされる「神の警告」である。これについては勿論様々な意見があるだろうが、私は今回の大地震はアーメンだと思う。何故なら既に科学的にも、霊的にも、説明が付くからである。科学的には、ある(天文)学者が説明しているし、霊的には、日本の状態を見れば、既に分かる事である。その詳細な説明はDr.Lukeのブログに書かれている。ちなみに、今回に限らず全部では無いが、賛成する所が大いにある。それは決して彼を崇拝しているのでもないし、持ち上げているのでも無い。そんな事をしても彼は勿論、私にも何の得にもならない。一部のあるニッポンキリスト教徒には、その様に見えているみたいだが。

    今回の大地震が警告である以上、誰かに警告されたかという話であるが、現代の預言者を認めるかどうか、また認めるとしても限定的なものかにもよるであろう。その考えによっても大きく違いが出てくる事になる。
    昔私は仕事か何かの都合で出れなかった母教会でのある集会で、ある牧師が、参加していた人に祈っていたら、別の姉妹がその人から悪霊が出て行くのを見たそうだ。また、確かジェリコの時だったと思うのだが、国内の何処かの人(複数?)が伝道していたそうで、そこに変な人が来たそうで、その人の話では、何かで苦しみ癒されたいと思ってあちこち行ったそう。しかし仏教か何かのエライ人と出会った折り、悪霊がついポロッと言ったそうだ。キリストでないと、追い出せないと。そこでその伝道をしていた人が一生懸命祈ったらしい。或いは誰か牧師を紹介し牧師に祈ってもらったのかもしれない。15年位もの前の話なので、うろ覚えで申し訳ない。結果、悪霊は出て行ったのだが。

    話がずれてしまったが、「神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者達に示さないでは、何事もなさらない。」 アモス3:7 を今回かどうかは知らないが、関東に来ると言っておられる人達もいる。それは吟味も必要であろう。既に何度も私達は御言葉に照らし合わせ、自分の感情を出来る限り排除し、聴いてきたのではなかったのだろうか。
    特にアメリカの預言者と称するペンテコステ・カリスマ系の人達には要注意ではある。

    自然災害の全て、人災も恐らくは主の許可の下にあり、その主のご計画は当然私達にとって全て今は理解出来るものでは無い。しかし主の支配が全て、特に神の子とされた私達には、必ずや益として下さると信じる。しかしそれもこの時代はまもなく終わる前兆が頻繁に現われている。そして更にキリストに付くか、セルフに付くかがハッキリしてくる時代である。

    乱文になってしまった事をお赦し下さい。
    P1002146.jpgP1002147.jpg

    遍歴(追加訂正)

    • 2011.03.29 Tuesday
    • 00:04

    私はかつて、正教会と(大きな分類としての教派では)聖公会、メノナイト、アライアンス以外はカトリックも含め、大体礼拝に行った。
    その当時は以前も書いたが、主との交わりよりも兄弟姉妹との交わりが中心であった為に、自分に合う教会を探していたりもしていた。

    今はThe Way of The Spiritを学んでいる事もあり、主御自身を中心にしているハズである。が、私の中で飢え渇き(みたいなもの)があるのを、正直に告白しよう。

    私はバプテスマを受ける前後から超教派であった。テレビでは最初PTLクラブ、のちのハーベストタイム、幸福への招待、後にライフラインを見ていたし、ラジオではFEBCやPBA太平洋放送協会の短波放送KTWR、電話では世の光、中川健一師などを聞いていた。現在はライフライン以外は絶っている。昔懐かしい思い出である。

    私が何故バプテストを出たかと言うと、
    \蚕饋仰に立っていない ∨匯佞妨威があり過ぎるのもどうかと思うが、無さ過ぎもどうか 2饅絢腟舛砲睫簑蠅あった事 げ馥卸築に走ってしまう事、それ以前にもっとやる事があると感じていた事 ナ_伺匹筌撻鵐謄灰好毒匹陵佑福∪蚕颪篆世らのメッセージがあまり無い事 Ε丱廛謄好閥飢颪魎に出て、当時(今のではない)単立教会にいた事 転会(A教会には教会籍は無い)を決意した事 全国青年大会が私にとって、当初より信仰的などのズレ、ギャップを感じていて、これを機に引退しようとしていた事 当時の教会で交わりがあり、全国青年大会の様なものを感じていた事 バプテスト(教会)にこだわる理由が無い事 同志が居ない事 どこも似たりよったりである事(礼拝形式、交わり、教会学校、ビジョンなど) に絡み目指しているものの違い 歴史的なものであり否定はしないが、より良いものを目指すという点で、教会政治に疑問がある事 聖書研究や交わりにもっと時間を費やしたかった事 などがある。

    次に移ったA教会では、某ブログで批判されている所ではあるが、むしろ交わりが与えられ、徐々に聖書的な考えが浸透していった。しかしあるB兄弟を異言の見解相違で追放した事から、私も彼に付く事になったが、いくつかの問題があり、次の家の教会に移ったものの、追放されてしまった。

    前のその追放された兄弟のB教会(場所を借りていた)にも何回か行ったが、落ち着かず色々歩き回った。追放された兄弟のB教会に、某ブログで批判されているA教会にて一度会っているらしいが、再会という事で、それがきっかけで、後にKFCを紹介された。時々行っていたが、最初は何を言っているのか、さっぱり理解出来なかったものの、不思議な平安に包まれていた事を、今でも鮮明に覚えている。

    そして某ブログで批判されているA教会にいたC兄が、今は一応独立して牧師をしているが、その人が某ブログで批判されているA教会に来る前にいたという、D教会に行き始めたが、手話以外は私にとって居心地の良い所ではなかった。
    そこにいる間に一度だけ、代々木上原付近にあるカルト化教会とされている(今はあるかは知らないが)単立のキリストの教会(無楽器系)に午後に行った事もあった。
    手話に来なくなったE姉妹が近所のE教会に行っているので、夕拝に参加し、段々と午前中の礼拝にも時々出席した。
    近所のE教会で、『神を体験する』(原題:神を味わう)を二回二年に亘(わた)って学び、キリストとの関係こそ、何よりも大切だと心から理解し、KFCオンリーにする。

    そうした中でDr.Lukeのメッセージを聴き、徐々に福音の真髄が分かってきた。また、オンリーにしてからThe Way of The Spiritを学んで、更に聖書とキリストと十字架が分かった事だろうか。

    4月から某ブログは見ていなかったものの、今回の事があったので再び見たら、それまでよりも格段に誹謗中傷のオンパレードであった。実に嘆かわしい事である。それだけならまだしも、中立的な立場の人にまで、攻撃をしてくるのであるから、警察や司法に任せる以外に無いのかもしれない。

    いずれにしても、十字架と血潮に立つか、そうでないかはハッキリしてきたのではないか。

    元記事 12/Sep./2010

    意味が本当に分かる?

    • 2010.08.21 Saturday
    • 15:17

    「イエス様、この集会の真ん中にいてください。」とか「交わりの真ん中にいてください」などと言いがちであるが、本当に意味が分かっていて使っているのだろうか?

    『4つの法則』には分かり易く説明する為に、「真ん中に座ってください」とあったと思うが、所謂(いわゆる)ギョウカイ用語には説明が必要な場合があると思う。
    他には、「かえりみる」などもそうだ。もう少し簡単な言葉で語ってくれたらといつも思う。


    人はどうしても感情に支配され易く、普段から普通に使っていると、分かっているつもりになってしまうので、時折り吟味が必要であろう。
    讃美の歌詞についても同じ事が言える。
    それを如実(現実)に言えるのは、手話をしてみるとハッキリ分かると思う。如何に知ったかぶりをしていたか・・・。

    世の終わりの前兆

    • 2010.08.01 Sunday
    • 09:05

    ここ何年も親の虐待が報道されている。つい最近も大阪で、23歳の母親が3歳と1歳の子供を放置し、餓死させていたとの可哀想な報道があったばかりである。

    世の終わりの前兆には人々の愛が冷えるとあるが、まさにその時にあるのを誰しもが認めるだろう。
    更には聞くところによれば、ニッポンキリスト教はもっとひどくなっているそうである。はた目から見ればそんなにそこそこ普通の教会なんだろうが、果たして本当に今の教会は十字架を語っているのだろうか。

    数年前までホワ〜ッとして、「身代わりに死んでくれたんだ〜」「復活したんだ〜」「感謝だね〜」・・・・クリスチャンとなり、「天国に(自動的に)行ける」「だから何?」「ホームレスの手助けをしていないし、出来ない」「何かしたいけど何も出来ない」「何をしたら主は喜んでくれるの?」「トラクトを配った時もあるけど、収穫は本当にあるの?」「今自分は何の為に生きているの?」などなど・・・・。

    今も何の為に生かされているのかは分かろうハズも無いが、今を出来るだけ精一杯生きたいと思うからこそ、一つひとつの出来事を楽しみたいものである。

    この世の前兆を見極めつつ、十字架を担い主に頼り歩みたいものです。

    教会

    • 2010.07.02 Friday
    • 16:12

    かつて、いくつかの教会に行った事があるが、これから話す事は客としての訪問では無い。

    誰しも思っている事なのかもしれないが、主御自身についてもそうだろうが、横である兄弟姉妹とのつながりとか信頼関係が無ければ、小さな奉仕でもやる事は難しいのではないだろうか?

    数年前まで通っていた教会にしろ、母教会にしろ小さな奉仕でさえなかなか出来なかったものである。今考えれば主との関係もそうなのだが、横の交わりである兄弟姉妹との関係が、しっくりこない状況だとしづらくなっている。

    強制されてやるのもオカシイが、本当に簡単なもの位しか出来なかった。

    今はそういう意味では負担はかなり軽いものである。

    P1000600.jpg

    以前の私?!

    • 2010.06.09 Wednesday
    • 08:50
    P1000561.jpg

    このマウンテンバイクはもうかなり前に友人から事実上譲り受けた物である。
    ほとんど使われていない為にタイヤ、チューブなどを取り替えなければならない。おまけにサドルも盗まれている。
    先日知人に見積もってもらったら、1万円はかかるとの事。

    これは今の私、以前の私の姿なのかもしれないと、電気屋さんのブログを見ながら思い浮かべてしまった。

    人間が新しく自転車の一部又は全部を取り替えて、まるで新品の様な物に出来るのであれば、 尚更主は私達を新しく出来る方。私達が主により頼み、全く明け渡すのならば必ずや程度に応じて、主の役に立つ時が来るでしょう。

    神への疑問

    • 2010.05.20 Thursday
    • 08:54

    高校生の頃この様な疑問をもっていた。

    .トリックは一つなのにプロテスタントはいっぱいある。
    現状は神も知っているはずなのに、改善しよう、させようとしないのは何故か
    神を見ると死ぬのは何故か

    今ではどれも答が分かる。

    • 2010.05.16 Sunday
    • 08:44

    電気屋さんが祭を書いていたので、私も祭について書きます。

    小さな時から親しんできた化け物祭と百万石祭。
    前者は菅原道真ゆかりの、後者は収穫感謝だろうか。

    神輿を担ぎたいとは思わずむしろ避けていたのだが、イスラエルでの箱を担いでいた事を想起する時に、初めて一度は担いでも良いかな、と思った。

    周りには霊山と呼ばれる修験道の有名な山々があり、観光名所でテレビに何度も紹介されている様な所で育った。

    当然普通の日本人なら持っているであろうお守りを持っていた時期もあるが、信じる事は無かったので意味は無いのだが。
    しかし創価学会に入る時にお守りを信じてもいないのに持っていたが、いざ手放す時には不思議に抵抗を感じたものだった。

    しかし神の御手によりキリスト教保育園に入園したのをキッカケに、キリスト(教)を結果的には信じる事になり、見い出された者とされた。

    何故私なのか。私で良かったんですよね。私は従えなくとも意志と決断によって、そして内におられる聖霊によって主に従います。どうか私を導きいのちにあふれあなたの香りで満たして下さい。今日もあなたを礼拝し、あなたと楽しみ、あなたを喜びます。

    ある召された兄弟から教えられた事

    • 2010.04.27 Tuesday
    • 11:33

    神のみわざかどうかの判断基準  ジョナサン・エドワース(1703~58)牧師、神学者

    /諭垢離ぅ┘垢良床舛鮃發瓩襪
    ▲汽織鵑隆遒屬箸海蹐箸枠紳个諒向に向かっているか
    聖書と真理への関心を増しているか
    た世了柄に関する意識と真剣さを結果として、より強める事となっているか
    タ世悗琉Δ髻他のクリスチャンへの愛を、
                         更にはより広い世界への愛を増し加えていく事につながっているか

    神の栄光をあらわす基準となるもの
    ,澆海箸个砲茲辰銅┐気譴襦米々のデボーション)
    △茲蠡燭の人々に祝福となるか
    F眦に平安、喜びがあるか
    ぜ分にとって信仰を試すか
    ゼ分にとって喜びとなるか
    Εリスチャンが理解し喜んでくれるか
    Щ廚い与えられる<祈り求める>

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