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    異端的教えの特徴

    • 2014.06.05 Thursday
    • 23:59

    http://togetter.com/li/676033より

    【異端的教えの特徴】

    キリストの神性を否定するもの。
    キリストが人として来られたことを否定
    するもの。
    三位一体を否定するもの。

    キリストの十字架を否定するもの。
    キリストの復活を否定するもの。
    地獄(永遠の火の池が最終的に行く所)を否定するもの。
    キリストの再臨を否定するもの。
    聖書以外の書物に権威を置くもの。

    行ないによる救いを強調するもの。(救いは神の恵みにより信仰によるのであり、行ないによるものではありません。行ないは信者がみことばに従った結果です。エペソ2:8~10)
    キリストの福音以外を宣べ伝えるもの。

    11.イエス・キリスト以外を『教祖』として崇めるもの。
    *彼らは復活してないだけでなく、『敬虔を利得の手段と考えている人たち』です。1テモテ6:3~5。

    マタイ7:15ーにせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやってくるが、うちは貪欲な狼です。

    ※当ブログの【筆者の追加記事】

    12.自分をキリストと同等かキリストであると宣言した者は、間違いなく異端者です。耳障りの良い言葉やどんなに素晴らしい受け容れ易い言葉を使っていても、それは反キリストです。

    主である神はさばき主

    • 2012.01.27 Friday
    • 00:01

    1/25の続き

    さて、その人は、「神は『愛』であるからさばかない」と言っていました。すべての人の為に十字架に架かられたので。・・・・当然そんな事はありえません。

    http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120126/p1
    水草修治師も言っています。

    「愛の反対はさばきである。ところで神は愛である。したがって、神はさばくことは決してなさらない。」こんなことを教える人々がいます。そして、さらに彼らは「最後の審判や地獄などは、教会が信者を脅して支配するために勝手に作り出した作り話である。」と続けます。このようなことを教えるのはニューエイジ・ムーブメントという、復興グノーシス主義に属する人々です。彼らによれば、神とは善悪を超越し、神と人間を超越し、男女を超越し、神と人間と動植物すべての違いを超越し、あらゆる宗教を統合し、すべてのものを包み込む無限抱擁の存在なのです。彼らのいう「神」はすべての区別を超える汎神論における「神」であって、聖書に啓示された、無から万物を造り治めておられる三位一体の人格神とはまったく異質のものです。たしかに、神は忍耐強いお方です。けれども、神は正義のお方ですから、あくまでも悔い改めようとしないこの世を最終的にはお裁きになる日が必ずやってくると聖書は告げています。
    (引用終わり)

    何故なら、聖書がそう言っているからです。

    申命記9:4,5
    あなたの神、が、あなたがあなたの前から彼らを追い出された時、あなたは心の中で、「私が正しいから、が私にこの地を得させて下さったのだ。」と言ってはならない。これらの国々が悪い為に、はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。あなたが彼等の地を所有することの出来るのは、あなたが正しいからでなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪い為に、あなたの神、が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。

    マタイ24:35−44  25:31−46  

    ペテロ3:10
    (新改訳)
    しかし、主の日は、盗人の様にやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消え失せ、天の万象(諸元素)は焼けて崩れ去り、地土地の色々なわざは焼き尽くされます。
    (新共同訳)
    主の日は盗人の様にやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に溶け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。

    ヨハネ5:22,24,27
    また、父は誰をもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。・・・まことに、まことに、あなた方に告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに遭(あ)う事がなく、死からいのちに移っているのです。・・・また、父はさばきを行なう権(口語訳:権威/新共同訳:権能)を子に与えられました。

    使徒17:31
    何故なら、神は、お立てになった独りの人により義をもってこの世界をさばく為、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせる事によって、この事の確証をすべての人にお与えになったのです。

    使徒10:42
    イエスは私達に命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方である事を人々に宣べ伝え、その証詞をする様に、言われたのです。

    ローマ14:10
    ・・・私達はみな、神のさばきの座に立つ様になるのです。

    コリント5:10
    何故なら、私達は皆、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあって(肉体による複数の事柄)した行為に応じて報いを受ける事になるからです。

    テモテ4:1
    神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私は厳(おごそ)か(厳粛げんしゅく)に命じます。

    ペテロ1:17
    また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなた方が地上に暫(しばら)く留(とど)まっている間の時を、恐れ畏(かしこ)んで過ごしなさい。

    黙示(啓示)録20:12,13
    また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデス(黄泉)も、その中にいる死者を出した。そして人々は各々自分の行ないに応じてさばかれた。

    コリント6:2,3
    あなた方は、聖徒が世界をさばく様になる事を知らないのですか。世界があなた方によってさばかれる筈(ハズ)なのに、あなた方は、ごく小さな事件さえもさばく力が無いのですか。私達は御使いをもさばくべき者だ、という事を、知らないのですか。それならこの世の事は、いうまでもないではありませんか。

    創世記18:25
    ・・・全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。

    伝道(コヘレト)12:14
    神は、善であれ悪であれ、すべての隠れた事に付いて、すべてのわざをさばかれるからだ。

    イザヤ書33:22
    まことに、は、私達をさばく方、は私達の立法者、は私達の王、この方が私達を救われる。

    サムエル前24:15
    どうかが、さばき人となり、私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて、これを弁護し、正しいさばきであなたの手から私を救って下さいます様に。

    エレミヤ11:20
    しかし、正しいさばきをし、思いと心を試される万軍のよ。あなたが彼等に復讐するのを私は見る事でしょう。私が、あなたに私の訴えを打ち明けたからです。

    エゼキエル39:21
    わたしが諸国民の間にわたしの栄光を現わす時、諸国民はみな、わたしが行なうわたしのさばきと、わたしが彼等に置くわたしの手とを見る。

    ヘブル9:27 12:23
    そして、人間には、一度死ぬ事と死後にさばきを受ける事が定まっている・・・・・万民の審判者である神、・・・

    ローマ8:1
    こういう訳で、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められる事は決してありません。

    ヨハネ3:17,18
    神が御子を世に遣わされたのは、世をさばく為ではなく、御子によって世が救われる為である。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神の独り子の御名を信じなかったので、既にさばかれている。

    申命記1:17
    ・・・さばきは神のものである。・・・

    もし、さばきは無いとか、十字架によってさばきは既に終わったという人がいるのなら、明確にその人は、神のことばである聖書と主である神に逆らっているのは、明々白々である。むしろ逆に救われていなくて、ゲヘナ(地獄)に行く可能性があります。

    主である神は主権者

    • 2012.01.25 Wednesday
    • 12:46

    以前、主である神は主権者ではない、と明確に否定していた人物がいたが、今も否定し続けているのであろうか。その人は三位一体を肯定しているから、異端者ではないと、ある時に書いていた。が、三位一体を肯定しているからと言って、キリストの十字架の贖いを拡大解釈し、万民救済主義者である事が暴露されている以上、明確な異端者である事に違いは無い。ユニテリアンはニュートンやナイチンゲールがそうだと言われているが、その人物も同じくそうである。

    詩篇145:5 ダビデの讃美
    私は栄光輝くあなたの主権と、あなたのくすしいわざに思いを潜めます。

    イザヤ書9:6,7
    ・・・主権(新共同訳:権威)はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権(新共同訳:権威)は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より、とこしえまで。万軍のの熱心がこれを成し遂げる。

    ダニエル4:3,34 6:26,27
    そのしるしのなんと偉大な事よ。その奇蹟のなんと力強い事よ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々(よよ)限りなく続く。・・・その主権は永遠の主権。その国は代々(よよ)限りなく続く。
    ・・・この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びる事なく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。

    エペソ1:20−22
    神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上において御自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、一切のものをキリストの足の下に従わせ、一切のものの上に立つ頭であるキリストを、・・・

    コロサイ1:16
    ・・・天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。

    テモテ6:16
    ・・・誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

    聖書信仰とは その2

    • 2011.12.24 Saturday
    • 00:17

    に不可能なことがあろうか。  創世記18:14
    神にとって不可能な事は一つもありません。  ルカ1:37

    リベラルのキリスト教徒達は、本当に一体何を信じているのだろうか?
    自称キリスト教徒として、何をもってクリスチャンと称しているのだろうか?

    蛇もロバも言葉を交わし、人と話したのを奇妙に思うのは良いとしても、それをまるで例え話や御伽噺(おとぎばなし)の様に言うのは、まるで自分はクリスチャンではありません、と言っている様なものだというのが分かっていない。
    そんな人達はキリスト教徒とかクリスチャンとは名乗っていけない。もっと別の名前で呼ばれるべきです。現代の異端の何ものでもない!! 三大異端などとまったく同じです。

    新約聖書だけでも、処女降誕、パンの奇蹟、癒し、よみがえり、復活、昇天、毒蛇に噛まれ手当てもせずに生きているパウロetc.すべてが御伽噺ではないか。それの何処がキリスト(教)信仰なのか、教えてほしいものです。

    ましてや、それらの事を信じていないのだから、十字架の贖罪死なんて信じている筈(ハズ)がない。
    どうしてキリストと呼ばれる一ユダヤ人であるイエスが、異邦人であり、2000年も経った私達とどの様な関係があるのか。

    聖書の記述を信じず、私はキリストを信じます、などと言う愚かな人達は、今一度よく考えてみる必要があろう。この様な自称キリスト教徒が、世界を滅ぼす世界統一宗教の手先となって、反キリストを快く迎えるに違いないのは目に見える様だ。

    その時主が言われた事が成就するのではないかと危惧している。

    しかし、人の子が来た時、果たして地上に(the)信仰が見られるでしょうか。  ルカ18:8

    聖書信仰とは その1

    • 2011.12.24 Saturday
    • 00:14

    聖書に誤りがあるなら、どのようにして神を知ることが出来るだろうか。

    自分の中で“訂正した聖書”の神は、もはや神ではなくて、自分が作り出した神ではないだろうか。


    http://d.hatena.ne.jp/ecclesiastes/より



    全くもってその通りです。


    結局リベラル派は、(最近は福音派やペンテコステ派もそうだが)聖書を自分の都合の良い様に用いて、自分を神にしているのに過ぎないのです。

    P1000262.jpg
    セミの抜け殻を見つけた。いつのだろうか。こんな目の届き難い所で、ひっそりとあった。
    私達クリスチャンも本来はこんな感じなのではある。

    裁き

    • 2011.12.20 Tuesday
    • 09:40

    正しい者を悪い者と一緒に殺し、その為、正しい者と悪い者とが同じ様になるという様な事を、あなたがなさるはずがありません。とてもあり得ない事です。全世界を裁くお方は、公義を行なうべきではありませんか。 創世記18:25

    神は、善であれ悪であれ、全ての隠れた事に付いて、全てのわざを裁かれるからだ。 伝道者(コヘレト)12:14
    まことに、は私達を裁く方、は私達の立法者、は私達の王、この方が私達を救われる。 イザヤ33:22

    歴史を支配し、人の心の奥深くを知り、正しい裁きを行なわれる方。

    どうかが、裁き人となり、私とあなたの間を裁き、私の訴えを取り上げて、これを弁護し、正しい裁きであなたの手から私を救って下さいます様に
    。 サムエル前24:15
    正しい裁きをし、思いと心を試される万軍のよ。あなたが彼らに復讐するのを私は見る事でしょう。私が、あなたに私の訴えを打ち明けたからです。 エレミヤ11:20

    神の裁きは、その働き以上に神の性質を証詞するので、神の知恵、正義、慈愛、完全といった特質と密接に係わっている。

    わたしが諸国の民の間にわたしの栄光を現わす時、諸国の民は皆、わたしが行なうわたしの裁きと、わたしが彼らに置くわたしの手とを見る。 エゼキエル39:21

    新約においても神の裁きは強調され、来たるべき日に全世界が裁かれる事の確実性が映し出されている。

    神は、お立てになった独りの人により義をもってこの世界を裁く為、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせる事によって、この事の確証を全ての人にお与えになったのです。 使徒17:31
    私の福音によれば、神の裁きは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事を裁かれる日に、行なわれるのです。 ローマ2:16
    人間には、一度死ぬ事と死後に裁きを受ける事が定まっている。 ヘブル9:27

    あなた方は、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使い達の大祝会に近付いているのです。また、天に登録されている長子達の教会、万民の審判者である神、全うされた義人達の霊、更に、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりも優れた事を語る注ぎかけの血に来ています。 ヘブル12:22−24

    父は誰をも裁かず、全ての裁きを子に委ねられました。・・・父は裁きを行なう権を子に与えられました。子は人(の子)だからです。 ヨハネ5:22,27

    人となられたキリストの十字架において、私達の罪は完全に裁かれたのである。

    まことに、彼は私達の病を負い、私達の痛みを担った。だが、私達は思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私達の背きの罪の為に刺し通され、私達の咎の為に砕かれた。彼への懲らしめが私達に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私達は癒された。私達は皆、羊の様にさ迷い、各々、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私達の全ての咎を彼に負わせた。 イザヤ53:4−6
    見よ、世の罪を取り除く神の子羊。 ヨハネ1:29

    この事実の確証を神はイエスの復活によって人々に与えられた(使徒17:31)。故に神の裁きはイエスの来臨と共に歴史の中で既に始まっており、イエスを信じる者はもはや罪の為に裁かれる事はない。

    まことに、まことに、あなた方に告げます。わたしのことばを聴いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、裁きに遭う事が無く、死からいのちに移っているのです。 ヨハネ5:24
    今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められる事は決してありません。
     ローマ8:1

    イエスに対する拒否、不信仰は人を滅びに導くので、裁きは終わりの日においてだけでなく、現在既に行なわれていると言える。

    神が御子を世に遣わされたのは、世を裁く為ではなく、御子によって世が救われる為である。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神の独り子の御名を信じなかったので、既に裁かれている。
     ヨハネ3:17,18


    その方(聖霊)が来ると、罪に付いて、義に付いて、裁きに付いて、世にその誤まりを認めさせます。罪に付いてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また義に付いてとは、わたしが父のもとに行き、あなた方がもはやわたしを見なくなるからです。裁きに付いてとは、この世を支配する者が裁かれたからです。 ヨハネ16;8−11

    裁きは神のものである。 申命記1:17
    これがあなた方のしなければならない事だ。互いに真実を語り、あなた方の町囲み(門)のうちで、真実と平和の裁きを行なえ。 ゼカリヤ8:16

    終わりの日の正しい裁きと報い
    私達はみな、キリストの裁きの座(ベーマ)に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体による複数の事柄(にあってした行為)に応じて報いを受ける事になるからです。 コリント僑機10 への途上にある者としての正しいあり方をする様に勧めている。

    最後の審判は、正義が確実に勝利を得る事と、神の意志が完全に行なわれる事を意味し、この事が戦いの中にいる人々に平安と確信を与えるのである。

    また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデス(黄泉)も、その中にいる死者を出した。そして人々は各々自分の行ないに応じて裁かれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に記されていない者は皆、この火の池に投げ込まれた。 黙示録20:12−15

    (以上、新聖書辞典より抜粋)

    信仰表明(追加あり:再掲載)

    • 2011.12.02 Friday
    • 12:04

    【教理】
    旧新約聖書66巻
    神の特別啓示であり、聖霊に霊感された原典において、誤まりの無い神のことばである。これは前提であり、証明が必要無い。

    聖書の霊感
    言語霊感、十全霊感、合わせて言語十全霊感を信じる。

    正典性
    聖書の正典性を信じるのは、原著者が神だからである。聖霊の内的証明と聖書の外的証拠は区別され、両方が必要である。
    聖書は十分性を持っており、66巻の聖書は完結している。聖書は書かれた時から正典性を持っていたのであり、何か会議によって正典になったのではない。

    純粋な保存
    神の摂理により聖書は写本で純粋に保存された。福音派の合意は十全霊感説、全的無誤性である。

    [聖書信仰の運動]
    1959年はプロテスタント宣教百周年(解釈による)記念記念行事が、福音派(聖書信仰派)とエキュメニカル派(リベラル派)で、別々に開かれた。聖書信仰・福音派は、日本宣教百周年記念聖書信仰運動を展開し、翌年の1960年、日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)が発足した。この運動から、聖書信仰の新改訳聖書と日本福音同盟が生まれた。日本の聖書信仰の教会とエキュメニカル派の教会は明確に分かれている。

    [他の聖書観]
    聖書信仰派とエキュメニカル派(リベラル派)は前提が異なっている。リベラル派が人間理性を最終的権威とするのに対し、福音派は聖書を最終権威としている。聖書信仰の立場が誤まった霊感説と見なして排除するのは以下の説である。

    機械的霊感説(口授説)
    聖書記者が無意識・恍惚状態で聖書を記したとする説。これに対して聖書信仰は有機的霊感説に立っている。

    思想霊感説
    聖書の思想だけが霊感されたとする説。これに対する説は言語霊感説である。

    部分的霊感説
    霊的、宗教的な事柄に関してだけ霊感が及んでおり、科学や歴史に関しては霊感が及んでいないとする説。進化論などで聖書を解釈するところから出てくるものであるとされ、日本基督教団亀有教会牧師鈴木靖尋は、日本基督教団の95%が部分霊感であり、有神的進化論の支持者であるとしている。これに対する説は十全霊感である。

    自然的霊感説(体験記録説)
    宗教的に特に傑出した人によって書かれたとする説。

    断続的神言化説
    カール・バルトら弁証法神学者の説。自由主義神学、高等批評の聖書観を受け入れ、聖書は誤まりがある人間の言葉にすぎないが、これが神のことばになる時があるとする。バルトは『教会教養学』で、聖書信仰の言語霊感を否定している。

    解明説
    全てのクリスチャンと同じ解明の能力が聖書記者にも与えられたとする説。シュライエルマッハーの説。

    「その他」
    終焉説は採用しない。何故ならば『イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じ』(ヘブル13:8)だからです。

    ・異言
    異言に付いては与えられているし用いる事もあるが、キリストを信じた時とは別に聖霊の満たしがあり、聖霊の満たしは継続しなければならないと信じます(エペソ5:18)。最初の満たしを聖霊のバプテスマと見なしています。従って人によっては、信じる前後に異言を伴う聖霊のバプテスマが与えられると認識しています。逆に聖霊のバプテスマを与えられていても、異言が出てくるとは限らないとの立場です。それは私がその様に体験しているからです。

    ・新生
    当然イエス・キリストを信じた者は、新生していなければなりません。従ってその後キリストを否定したり、クリスチャンからぬ信条・行動をし続けている人(達)は、新生していないと思われます。

    ・聖化
    キリスト・イエスを信じた者は当然、聖霊の働きにより、聖化し続けていると信じます。

    ・神癒
    神は現在でも、聖徒の為に執り成しをしておられる故に、私達の求めに応じ、みこころによって癒して下さる御方です。

    ・供与
    神癒と同じ様に、神は心の広い憐れみ深い御方であるので、必要なものはその都度与えて下さる御方です。(More than enough)

    ・再臨
    現代・現在のキリスト教界で再臨を否定している教団、教派、グループ、教会はおそらく無いと思われるが、主はいつの日か必ずこの世に再び来られると信じています。

    <参考資料>
    聖書信仰に立つ  創世記3:1 マタイ4:3,4
    http://kamecha.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/3143-4-575a.html 

    御紹介―ローマ人への手紙

    • 2011.07.14 Thursday
    • 08:48

    只今ローマ人への手紙を、みのみのさんとダビデさんが書いています。

    お二人共それぞれの視点で、私達によく理解出来る様に書いて下さっていますので、是非、御覧下さい。

    みのみのさんの「スイーツバイブル」
    http://livingwater.tea-nifty.com/sweet_his_words/

    ダビデ(さん)の日記
    http://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/

    あれから4ヶ月・・・

    • 2011.07.11 Monday
    • 00:00

    今日は東北関東大震災から4ヶ月(123日目)になりました。
    よく言われるのは原発と同じで、便利さに甘えてしまう事。

    明治や昭和の大津波で(太古の昔から何度もではあるが)、或いは2004年12月26日日曜日7時58分(日本時間9時58分)のスマトラ島沖大地震(M9.1−9.3)の大津波を覚えているであろうか。
    あの時の事を考えれば、当然いつかは(特に三陸地方や宮城県)津波が来るのは、必然でしょう。しかし、何十年も平穏無事な暮らしをすれば、忘れてしまうのだろうか。

    今回の原発事故に関しても、きっかけは地震そのものと云うよりも、大津波に襲われた為である。国も政府もまた東京電力にしても、自然の猛威に対処出来ると簡単に思っていたのであろう。だから「想定外」などと簡単に言葉が出てくるのである。



    この様な状況を見聞きして何人の人が、聖書を思い出したのだろうか。
    ヨシュア亡き後、律法に従わずに過ごした結果、異邦人に攻められたり、また南北分裂後特にユダに、何度も北の様にならず律法(主)に従えと警告されていたにも関わらず、結局従わなかったので律法に書いてある通り、捕囚に遭ってしまった。

    つまり何度も警告がなされていたにも関わらず、「喉元過ぎれば暑さ忘れる」の状態である。

    私達キリスト者(自称クリスチャン除く)は、十字架こそが私達の旗印であり、主を知る者として、みことばに従い歩んで行きたいものです。

    天国へは

    • 2011.05.25 Wednesday
    • 12:24
    キリストを受け入れ信じた者なければ、決して天国に入れないハズである。
    従って、この世でどんなに善行を積んでも、決して天国に入る事は出来ない、というのが聖書の教えである。
    「あなた方を受け入れる者は、私を受け入れるのです。また、私を受け入れる者は、私を遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だという事で受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。私の弟子だというので、この小さい者達の一人に、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなた方に告げます。その人は決して報いに漏れる事はありません。」(マタイ10:40−42)
    この場合、その人がキリストを受け入れていないとすれば、やはり天国には残念乍(なが)ら行けない。しかし、良い報いはそれなりに受けると思う。それがどんなものかは、知るよしも無いが。

    しかしこれだけは確実に言える。人間はどんなに愛情をもって善行をしても、救われない限り決して天国には行けない事を。
    もし善行だけをして天国に行けるのであったら、キリストの十字架(と復活)は空しいものであり、それこそ不公平にしか思えない。

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